西の風・・・11月6日号
南山の創立の地の由来について (2012.11.6 UP)
南山学園が創立された土地についてお話しましょう。南山学園の創立の地は今、男子部の校舎がある所です。そこは「みなみやま」という町でした。今ももちろん「みなみやま」が正式な名前ですが、たとえばタクシーの運転手さんに「昭和区のみなみやまの町まで」というと「ああ、なんざんですね」と。『なんざん』の方が町の名前になってしまっているほどこの土地にしみこんでいます。
しかし、創立当初、この南山中学校が創立された時の立地条件というのは大変悲惨なものでした。みなさんは吹上の駅あたりを知っているでしょうか。あそこに名古屋刑務所という刑務所がありました。それから八事の方に向かって順番に刑務所があり、肺結核の療養所があり、火葬場があり、ごみの焼却場があり、このすぐ近くの――今は児童養護施設といいますが――当時は孤児院といって親を失った子供達の収容施設があり、そしてさらに養老院といって、当時は子供から見放された養うことのできない、面倒をみることのできないとされて放棄されたお年寄りを収容する施設がありました。そして私たちの一番最初の南山中学校が建った所はもともと名古屋市指定の法定伝染病の患者を収容する施設の建設予定地でした。今みなさんにお話したことをもう一度繰り返してみると、刑務所があり、肺結核の療養所があり、火葬場があり、ごみの焼却場があり、養老院があり、当時の言葉でいって孤児院があり、そして伝染病の患者を収容する施設が予定されていた土地・・・その土地に、まさにその真ん中に南山中学校は創立されました。皆はとても普通の人が住むような場所ではないと言い、当時の火葬場では今のように焼くのに施設が整っていないので風向きによってはその焼く臭いがにおっていたような土地でした。ごみを焼く臭いも漂っていたような土地でした。ところが、南山中学校がそこに建ってから様子が変わってきました。若々しい命の喜びがその只中に、またグラウンドに、教室にあふれました。創立当初の中学1年生が書いた作文が文集の中にありましたので紹介します。
『僕たちは何と恵まれているのだろう。すぐそばの孤児院には戦争で両親を亡くした子供達が大勢いるのに、僕には親がいる。結核の療養所には僕たちと同じ年齢の子もいるのに、僕たちは健康だ。僕は自分が幸せであることを当たり前だと思っていた。でも、それは当たり前のことなのではないと今は思う。当たり前のことだから気づきにくかったのかも知れない。孤児院を訪問した時、小さな子供が「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って抱きついてきた。僕は少し恥ずかしかったけれど涙が溢れてきた。それは親のいない子供達がかわいそうで流れ始めた涙だったけれど、やがて自分は「幸せだなあ」と思う感謝の涙に変わった。』
この南山中学校の1年生の作文は、私たちが、いつも、何度でも、この学園が創立された土地柄を思い出してよいのだということを教えてくれます。今でこそ名古屋の中でも昭和区のこの地域は高級住宅地だと言われます。しかし、決してそれは自然にそうなったのではない。創立者ライネルス神父がこの土地に『南山』という学校を建ててから変わってきました。この中学生たちは喜んで子供達を訪問しました。喜んでおじいちゃんやおばあちゃんたちのもとを訪ねてお世話をしました。その創立以来の心のやさしさ、当たり前のことを、当たり前だと過ごさずに、静かに読み取り、聞き取り、自分の流す涙が感謝の涙に変わり得た生徒達が学んでいました。
今、みなさんがその創立のころの、みなさんにとっては大先輩の、しかし、当時はみなさんと同じ年頃の中学生たちが必死で生きていた。そのことを皆さんがこの創立のことを思う開校記念式典の時に、もう一度新たに思い起していただければ今日の私のお話も無駄ではなかったなと思います。本日の聖書朗読はそれに基づいて選びました。
『あなたたちは私が飢えていた時に食べさせてくれた。
渇いていた時に飲ませ、
裸だった時に着せ、
病気だった時に訪ねてくれた。
あなたたちは私が刑務所にいた時に私を訪ねてくれた。
これらのもっとも小さな者の一人にしてくれたことは、
すなわち私にしてくれたことだ。』
「人間の尊厳のために」というのは、この「一人にしてくれたこと」です。その一人ひとりを大切にすることです。そのことをもう一度心に深く深く自分に与えられた使命として心に留めていただきたいなと思います。みなさんができることは限られています。私ができることも限られています。しかし、「このもっとも小さな一人にしてくれたことは、すなわち私にしてくれたことだ」ということをもう一度自分のテーマとして、南山生としてのモットーとして心に留めていただきたいなと思います。
キュリー夫人という方が女性でノーベル賞を取りました。ずいぶん昔の話です。それに続くノーベル賞受賞者が女子部の出身からでやしないかとこの前私の修道院で話題になりました。私は「出ません」と答えました。私は「偉い人」「有名な人」がたくさん育ってくれることを望んでいません。私はそういう人よりも「この小さな人に親切に、やさしく接してくれる」、そうした人こそ「偉い人」だと思います。見えず、目立たず、誰からも誉められなくても、喜んでその人のためならば手を差し伸べましょうと。私は新聞に載る女子部よりも、マスコミに報道されなくてもいつでもそういうことができる、地下鉄の中で、バスの中で、通り道で、廊下で、人にそっと施すことのできる親切を知っている、そういう女性にみなさんがなっていただけることを心から願っています。『人間の尊厳のために』の出発点として今日は南山学園の創立の地をみなさんに紹介しました。ぜひ心に留めて、私もそうした只中にあって世の光として働くことのできる人間になるように、これからも一日一日を過ごしていきましょう。
南山女子部ホームページ
南山中学高等学校校長である西先生の「西の風」より引用させて頂きました。
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